※この山行は過去の記録(2023年12月末)のものです。
夏に観光で訪れる人が多い乗鞍岳ですが、冬になるとその表情は一変します。人の気配はほとんど消え、雪と風と静けさに支配された世界。夏の「親しみやすい百名山」の姿は影をひそめ、厳冬期の乗鞍はまさに“氷の壁”でした。
1日目(2023/12/29・金)
行動スケジュール
10:03 三本滝レストハウス → 13:51 位ヶ原山荘
(合計 4時間02分・距離 5.8km・登り856m / 下り117m・休憩37分)
前日の夜行バスで梅田から松本へ。早朝に到着して、電車で新島々へ、さらにバスを乗り継ぎ、雪深い乗鞍スノーリゾートに降り立ちました。
この日はとても天気が良く、青空の下で真っ白なゲレンデが広がっていました。ただ、リフトは一番下の1本しか動いていない。スキー客で賑やかなゲレンデを横目に、板を担いでいる人の横をすり抜けながら、ひとり黙々と歩き始めます。ゲレンデを抜けると、嘘みたいに静かになり、音が雪に吸い込まれていく。冬の山って、ほんとに「無音の世界」に放り込まれる感じがします。
今回の相棒はワカン。これが意外と快適で、ふかふかの雪でも思ったより沈まない。ザクザクと一歩ごとに雪を刻む感覚が心地よくて、「あ、これはちょっと楽しいかも」と思いながら進んでいきました。
標高を上げていくと、次第に風が強まってきます。特に位ヶ原山荘の少し手前では突風が吹きつけ、耳が痛くなるほど。けれど、予定よりも早く小屋に到着。どうやら一番乗りだったようで、静まり返った冬の小屋を独り占めできました。

小屋に入ると、なんとこたつが用意されていて、冷えきった体がじんわり解凍されていく。外は氷点下の世界なのに、中はまるで別世界。あの瞬間は「文明のありがたさ」に心から感謝しました。
夕食はなんと鹿鍋と鶏の香草焼き。冬山でこんなご馳走にありつけるとは思っていなかったので、一口食べるごとに「うまい…」と声が漏れる。登ってきた疲れも、寒さで縮こまった体も、この晩ごはんで一気に癒やされました。

夜、外に出ると澄んだ空気の中に満天の星空。見上げるだけで寒さも忘れるほどの美しさでした。

2日目(2023/12/30・土)
行動スケジュール
7:20 位ヶ原山荘 → 9:01 肩ノ小屋 → 9:58 朝日岳 → 10:16 蚕玉岳 → 10:26–10:54 乗鞍岳(剣ヶ峰) → 13:41 三本滝バス停 → 14:20 ゴール地点
(合計 6時間59分・距離 11.2km・登り717m / 下り1591m / 休憩1時間15分)
朝は山荘でしっかり朝食をとってから、7:20に出発。最初は穏やかで、気温も高め。シャツにハードシェルを羽織るだけで十分でした。トレースもはっきりしていて、迷うことなく進めます。

ところが、肩ノ小屋に近づくと一気に様子が変わる。強烈な風が吹き荒れ、体が持っていかれそうになる。小屋の壁の陰に逃げ込んで、持ってきた防寒具を全部着込みました。手がかじかんで、ザックのジッパーすらうまく開けられない。これが「厳冬期の洗礼」かと実感します。
そこから朝日岳へ。斜面は短いけれどアイスバーンになっていて、アイゼンの前爪が思うように刺さらず、息が上がる。上の方に先行者の姿が見え、「あんな急斜面を行くのか…?」と内心ひやひや。結局は直登するしかなく、10歩進んでは立ち止まるを繰り返し、何とか山頂へ。
さらに蚕玉岳を越え、ついにこの山行の目標だった剣ヶ峰に到着。標高3,026m。冬の3000m峰に立ったのは初めてで、胸がいっぱいになる。
山頂の鳥居は雪に半分埋まり、まるで山が「ここから先は人間の領域じゃない」と告げているよう。
【剣ヶ峰頂上・雪に埋まった鳥居】


空は晴れていて、まわりは真っ白の山々。景色は遠くまで見渡せました。ふと横を見ると、隣の登山者が大きな熊のぬいぐるみをザックから取り出して記念撮影を始めていて、過酷な環境の中なのにちょっと笑ってしまいました。
小屋まで戻る途中、怖かった朝日岳は避けて、蚕玉岳からトラバースするルートを選択。斜面は固い氷に覆われ、アイゼンが効きにくい場面もあり緊張しっぱなし。さらに、その近くで滑落事故があったと聞き、背筋が冷たくなる。幸い大きな怪我はなかったようで、ほっと胸をなでおろしました。

雪原を下り、スキー場に戻ると一気に喧騒が広がります。子どもたちの笑い声やリフトの音が響き、ついさっきまでの氷点下の世界が幻だったように感じられる。リフトは下りが動いていないので、ゲレンデ脇をひたすら歩き、14:20に三本滝バス停へ到着。そのままゴール。近くの温泉に立ち寄り、湯気に包まれながら「ああ、帰ってきたなぁ」とようやく安堵しました。
おわりに
こうして2日間の厳冬期・乗鞍岳は幕を閉じました。距離だけ見れば決して長くはなく、夏のアルプス縦走に比べれば行程もシンプル。けれど、肩ノ小屋から上の爆風と氷の斜面は想像以上に過酷で、「冬の入門」と言われる乗鞍岳のイメージをあっさり覆されました。
それでも、位ヶ原山荘でのあたたかい鹿鍋や鶏の香草焼き、こたつで過ごした夜、外に広がっていた満天の星空、そして雪に埋もれた鳥居の前に立った瞬間の胸の高鳴り――どれも心に深く残っています。
冬の山は楽しいだけではなく、厳しさと恐ろしさを突きつけてきます。けれど、その白一色の世界の中に立ったときに得られる達成感と満足感は、他では味わえない特別なもの。
乗鞍岳は「入門」なんて言葉では片づけられない、でもまたいつか必ず戻りたいと思わせる、不思議な魅力を持った山でした。
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