槍・穂高連峰大縦走 ― 大キレットを越えて

過去の山行

※この山行は過去の記録(2022年10月1日〜10月3日)のものです。


槍・穂高連峰とは

北アルプス中央部に連なる岩稜帯で、槍ヶ岳(3,180m)から穂高連峰へ続く稜線は、日本を代表する名ルートとされています。
鋭い槍の穂先、大キレットの険しい岩稜、そして奥穂高岳(3,190m)や前穂高岳などの3000m峰。険しさの中に静けさと荘厳さがあり、朝夕に色を変える山々の表情は登山者の心をとらえて離しません。


概要

今回の目的はふたつありました。ひとつは「大キレットを自分の足で歩いてみたい」ということ。そしてもうひとつは「できるだけ多くの3000m峰に立ちたい」という思いです。
これまで北アルプスのいくつかの稜線を歩いてきましたが、槍から穂高へ続くこの核心部はまだ未踏でした。天候に恵まれることを祈り、ソロで新穂高温泉からスタート。テント泊装備を背負って、3日間で8つの3000m峰をつなぐ旅に出ました。


1日目(10/1・土)

行動スケジュール
5:41 新穂高温泉 → 6:51 穂高平小屋 → 7:33 白出沢 → 9:37 槍平小屋 → 13:02 千丈沢乗越 → 16:09 槍ヶ岳 → 17:40 槍ヶ岳山荘テント場(泊)
(合計 12時間17分・距離 13.6km・登り 2232m / 下り 267m・休憩 3時間22分)

夜行バスで新穂高温泉に着き、まだ薄暗い時間に歩き出しました。林道を進むと岩峰のシルエットが現れ、近くの登山者が「ジャンダルムだ」と話しているのが耳に入りました。私も思わず見上げてしまいます。

白出沢を越え、ひたすら歩きます。槍平小屋を過ぎると登りは一層厳しくなり、千丈沢乗越までは何度も足が止まりそうになりました。

「一日で槍ヶ岳が、こんなに大変だなんて…」と小さくつぶやきながら、ようやく槍ヶ岳山荘へ。時刻は15時過ぎ。テント場はすでに満員で、奇跡的に残っていた小さなスペースに張ることができました。あとから来た方々は殺生ヒュッテまで下ったと聞き、幸運をありがたく思いました。

テントを整え、穂先へ登ります。

下りに差しかかるころ、夕日が山を赤く染めていきました。息をのむほど美しく、疲れも忘れるほどでした。

この日はここまで。明日が核心の一日です。星空を見上げながら眠りにつきました。


2日目(10/2・日)

行動スケジュール
3:53 槍ヶ岳山荘テント場 → 5:15 大喰岳 → 6:54 中岳 → 8:10 南岳 → 11:02 長谷川ピーク → 12:22 北穂高岳 → 13:55 北穂南峰 → 16:34 涸沢岳 → 17:52 穂高岳山荘テント場(泊)
(合計 14時間2分・距離 6.7km・登り 922m / 下り 996m・休憩 4時間49分)

まだ暗いうちに出発し、大喰岳で迎えた朝。太陽が昇る瞬間、稜線全体が黄金色に輝き、胸が熱くなりました。

中岳、南岳と気持ちのいい稜線を歩きます。振り返る槍ヶ岳はすでに小さく、遠い存在になっていました。

南岳小屋を過ぎ、いよいよ大キレット。ヘルメットをかぶり直し、深呼吸して一歩を踏み出しました。

最初に現れたのはザレ場の下り。足元が崩れやすく、一歩ごとに砂利が流れ落ちていく感覚に神経を使います。そこを慎重に下りきると、すぐに鎖場の連続。冷たい鎖をしっかりと握りしめ、昇り降りを繰り返しました。手のひらに汗がにじみ、全身が緊張でこわばっていくのを感じます。

そして核心のHピーク。ここでは少し欲を出して動画を撮りながら通過しました。片手がふさがれた状態での難所はやはり怖く、息を詰めながら進むしかありませんでした。
あとで映像を見返してみると、信州側から飛騨側へ岩をまたぐとき、私が完全にへっぴり腰で、体が固くて足もなかなか上がっていない様子が映っていて可笑しくなりました。「なんでここで撮ろうと思ったんだろう」と苦笑いするしかありません。

その直後、気が緩んだのかバランスを崩し、信州側に体が振られました。偶然ハイマツが生えていて助かりましたが、もし飛騨側だったらと思うとぞっとします。

一方で、「飛騨泣き」と呼ばれる難所は、結局どこだったのかわからないまま通過。緊張と集中の連続でしたが、不思議と心は澄んでいました。

北穂への登りに差しかかると、岩に描かれた「↑」の白ペンキを見て苦笑い。

ようやく北穂高岳に到着。小屋の前ではユーチューバーに「大キレットを越えた人にインタビューしたい」と声をかけられましたが、余裕がなく丁重にお断り。温かいパスタで少し元気を取り戻しました。

さらに奥穂へ向かう稜線も、大キレットに劣らぬ険しさでした。ここでは不思議とビビリはなく、体力だけがじわじわ削られていきました。登るたびに「よいしょ」と声が出てしまい、あとで前を歩いていた方に「全部聞こえてましたよ」と笑われて、頬が熱くなりました。

涸沢岳を登り切ると、眼下に広がる涸沢カールにカラフルなテントが並び、振り返れば信州側は澄んだ青空、飛騨側は雲海に覆われていました。

奥穂高岳のテント場では、同じように大キレットを越えてきた方と話しました。その方が「ここは滑落の心配がないから、足元を見ずに歩けるのがいいね」と言っていて、確かに!と心から頷きました。緊張の連続を乗り越えてきた後の、こうした何気ない会話に救われました。

全身が痛むほどの一日でしたが、同時に「山を越えてきた実感」がじんわりと胸に広がりました。


3日目(10/3・月)

行動スケジュール
4:50 穂高岳山荘 → 6:26 奥穂高岳 → 8:35 紀美子平 → 8:49 前穂高岳 → 9:35 紀美子平(戻り) → 12:36 岳沢小屋 → 14:41 河童橋 → 15:34 上高地(下山)
(合計 10時間43分・距離 8.4km・登り 456m / 下り 1935m・休憩 2時間29分)

夜は氷点下。思うように起きられず、奥穂へのはしごを登っている途中で日の出を迎えました。

奥穂高岳の山頂は大勢の人で賑わっていました。遠くにジャンダルムが見え、小さな点のように人影が動いていました。遥か後方には小さな槍のシルエット。あんなに近くにいたはずなのに、今はこんなに遠い。

吊尾根を越えて紀美子平へ。NHKの撮影隊がいて、少し離れたところで休んでいました。後日放送を見るとそのシーンは全てカットされていて、もし映っていたら…と思うとちょっと可笑しかったです。

デポして前穂へ。思った以上に岩場が険しく、すれ違いに緊張しました。数年前に来た時は登らなかったのですが、その判断は正しかったのかもと感じました。

そして9時半過ぎに紀美子平へ戻ります。全身がじんわりと疲れていましたが、そこには確かな充足感がありました。

紀美子平に少し荷物を整えてから、重太郎新道を下ります。岳沢小屋では、冷たいさつまいものスムージーが体に沁みました。ここで水を補給しようとしたら、ボトルが割れていてショック。小さなナルゲンに入れ直し、計算しながら少しずつ飲みました。

疲れた足で歩きながらバスの予約を済ませます。上高地に近づいたころ、水は尽きかけていました。小さな池を見て「飲んでしまおうか」と迷ったくらい喉が渇いていました。

やっと河童橋に着き、母にライブカメラのURLを送ると「面白い」と返信がありました。自販機のジュースを一気に飲み干し、ようやく身体が潤った気がしました。温泉が閉まっていたのは残念でしたが、インフォメーションセンターで体を拭いて着替え、お土産を手に帰路につきました。


まとめ

大キレットを越えられたことは、大きな自信になりました。鎖を握りしめながらの昇り降り、動画撮影で片手がふさがれて怖かった瞬間、へっぴり腰で足が上がらなかった自分の姿に笑ってしまったこと、そしてハイマツに救われた奇跡。テント場で「足元を見ずに歩ける安心感」の話を交わしたひととき。そのすべてが忘れられない思い出です。

そして、槍ヶ岳・大喰岳・中岳・南岳・北穂高岳・涸沢岳・奥穂高岳・前穂高岳――合計8座の3000m峰に立てたことも、心に深く刻まれています。

恐怖と安堵、痛みと達成感。山が与えてくれた感情の振れ幅は大きく、だからこそまた歩きたくなるのだと思います。次に同じ稜線に立つときは、もっと余裕を持って、もっと柔らかい心で、山と向き合いたいです。

コメント

  1. KYF より:

    great!

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