帰れる電車を待つ駅のベンチで、山は静かに終わる

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山は、山頂で終わらない。

山頂に着いても、下山がある。
登山口に着いても、駅やバス停までの道がある。
電車に乗っても、家に帰るまではまだ少し山の続きみたいな気がします。

自分にとって、山が本当に終わるのはどこなのか。

最近ふと思ったのは、駅のベンチに座った瞬間なのかもしれない、ということです。

切符を買っている。
帰れる電車も分かっている。
あとは来た電車に乗ればいい。

その状態でザックを下ろして、自動販売機やコンビニで買った飲み物を飲んでいる時間。

あの時間が、下山後でいちばんほっとします。

山頂では、まだ気が抜けない

山頂に着くとうれしいです。

遠くの山が見えて、風が抜けて、ここまで歩いてきた道を少し思い返す。
写真を撮って、水を飲んで、行動食を口に入れる。

山頂は、分かりやすい区切りです。

でも、そこで完全に終わった気にはなりません。

下りがある。
時間もある。
天気も気になる。
足の調子も見ないといけない。

特に長い山行では、下山のほうが地味にしんどいことがあります。

登りは山頂を目指しているから、まだ気持ちが前に向きます。
下りは少し違います。

景色はだんだん日常に戻っていく。
足裏に疲れが出る。
膝にもくる。
登山口が近づいているはずなのに、妙に長く感じる。

山頂に着いたからといって、山は終わらない。

むしろ、そこからが長い日もあります。

登山口から駅までが、意外と長い

登山口に下りると、ひとまず安心します。

もう大きな登り返しはない。
岩場もない。
道迷いの不安もかなり減る。

「ああ、下りてきた」と思います。

でも、まだ完全には終わっていません。

駅まで歩かないといけない。
バスを待たないといけない。
車を停めた場所まで戻らないといけない。

山の中ではないのに、ここからが意外と長い。

舗装路の下り。
長い林道。
車道脇の歩き。
バス停までの数十分。

山道ならまだ気持ちが山に向いているのに、舗装路になると急に足が重くなります。

靴底から伝わる硬さが変わる。
足裏に響く。
ザックの重さも、急に現実の重さになる。

もう山は終わったはずなのに、まだ歩くのか。

そう思うことがあります。

登山口は、たしかに山の出口です。
でも自分の体の中では、まだ山行は続いています。

下山したその日に帰りたい

下山後に温泉へ入って、ご飯を食べる時間は好きです。

汗を流して、温かいものを食べる。
それは山の帰りの楽しみです。

ただ、自分の場合、下山したその日のうちに帰りたい気持ちが強いです。

どこかに泊まって翌日に帰るより、その日のうちに家まで戻りたい。
山が終わったら、ちゃんと日常まで戻っておきたい。

だから下山後も、完全には気が抜けていません。

バスの時間。
電車の時間。
乗り継ぎ。
最終的に家まで帰れるかどうか。

温泉に入っていても、ご飯を食べていても、頭のどこかで帰りの時間を気にしています。

山は下りた。
でも、まだ帰れてはいない。

この感覚はけっこう大きいです。

のんびりしたい。
でも、のんびりしすぎると帰れなくなる。

だから本当にほっとするのは、温泉でもご飯でもなく、帰りの電車に乗れる状態になったときです。

切符を買う。
電車の時間を見る。
ホームか待合室まで来る。

あとは電車が来れば乗るだけ。

そこまで来て、ようやく気が抜けます。

駅のベンチで飲むものが、妙においしい

駅に着く。

切符を買う。
電車の時間を確認する。
まだ少し待ち時間がある。

ベンチが空いていれば、そこに座ります。

ザックを足元に置く。
靴紐を少し緩める。
自動販売機やコンビニで買った飲み物を飲む。

その瞬間、体が急に重くなります。

歩いている間は気づかないふりをしていた疲れが、まとめて戻ってくる感じがあります。

足裏がじんわり痛い。
ふくらはぎが張っている。
肩が固まっている。
汗で湿った服が、少し冷えてくる。

靴紐を緩めると、足が少しだけ楽になる。
ザックを下ろすと、肩が急に軽くなる。

でも、その軽さのあとに、どっと眠気が来ます。

山の中ではまだ動けていた。
登山口から駅までも歩けた。

でも、ベンチに座った瞬間に、体が「あ、もう終わっていいんだ」と気づく。

あの感じが好きです。

しんどいのに、少し気持ちいい。

もう帰れる。

そう思える状態で飲む一本のジュースが、妙においしい。

茅野駅で食べた駅そば

初めて一人で登った南アルプスは、仙丈ヶ岳から甲斐駒ヶ岳でした。

一人で行く山としては、自分の中ではかなり大きな山だったと思います。

山の中で見た景色も、歩いた道も覚えています。
仙丈ヶ岳の大きさも、甲斐駒ヶ岳の白さも、南アルプスらしい長さも記憶に残っています。

でも、帰りの記憶として妙に残っているのは、茅野駅での時間です。

帰りに乗る電車の切符を買った。
これで帰れる、と思いました。

そのあと、待ち時間にベンチに荷物を置いて、駅そばを食べました。

それが妙においしかった。

特別なそばだったわけではないと思います。
たぶん、駅で食べる普通のそばです。

でも、長く歩いたあとの体には、温かい出汁がやけに染みました。

ザックを下ろしている。
切符もある。
あとは電車に乗れば帰れる。

その安心感の中で食べたから、余計においしかったのかもしれません。

山の記憶というと、山頂や稜線の景色を思い出しがちです。

でも自分の中では、茅野駅のベンチと駅そばも、その山行の一部として残っています。

あのとき、ようやく山が終わった気がしました。

甲府駅で飲んだ、しじみの味噌汁

鳳凰三山の帰りも、似たような記憶があります。

甲府駅で電車を待っていました。
山は下りた。
あとは帰るだけ。

その待ち時間に、しじみの味噌汁の缶を飲みました。

それが思っていた以上においしかった。

山で疲れた体に、温かくて塩気のあるものが染みたのだと思います。
汗をかいて、長く歩いて、体がそういうものを欲しがっていたのかもしれません。

それ以来、しじみの味噌汁が好きになりました。

たぶん、味そのものだけではありません。

甲府駅で、電車を待ちながら飲んだこと。
もう帰れる状態だったこと。
山から下りた体に、温かい味噌汁が入っていったこと。

その全部が重なって、おいしかったのだと思います。

こういう記憶は、山頂の写真ほど分かりやすくありません。

でも、自分の中にはかなり残っています。

山で見た景色だけではなく、山から帰ってきたあとに口にしたものまで、その日の山の一部になることがあります。

温泉やご飯より前に、帰れる安心がある

下山後の温泉は好きです。

汗を流せる。
体が温まる。
足が少し楽になる。

下山後のご飯も好きです。

山で消費した分、何を食べてもおいしい。
しっかり食べると、体が戻ってくる感じがします。

でも、自分にとって一番ほっとするのは、その少し後かもしれません。

温泉に入っていても、まだ帰りの電車が気になる。
ご飯を食べていても、まだバスの時間が気になる。

楽しいけれど、完全には気が抜けない。

だから、駅まで来て、帰れる電車を待っている時間が一番落ち着きます。

切符はある。
ホームも分かっている。
電車の時間も分かっている。

あとは来た電車に乗ればいい。

この状態になって初めて、体も気持ちも山から下りてくる。

駅のベンチで飲むジュース。
コンビニで買った飲み物。
自動販売機の缶コーヒー。
温かい味噌汁の缶。
駅そばの出汁。

そういうものが、妙においしい。

派手なご褒美ではありません。
でも、自分にとってはかなり大事な時間です。

電車に乗ると、山が遠くなる

電車に乗ると、山はさらに遠くなります。

窓の外を見ながら、さっきまで歩いていた場所を思い返す。

あの登りはしんどかった。
あの下りは長かった。
あそこで水を飲んだ。
あの風は気持ちよかった。

でも電車が進むほど、山の空気は少しずつ薄くなります。

車内の冷房。
人の声。
スマホを見る人。
普通の服を着た人たち。

自分だけ、まだ少し山の匂いを持っているような気がする。

靴は汚れている。
ズボンには泥がついている。
ザックには汗の跡がある。

その状態で電車に座っていると、少しだけ浮いているような感じがあります。

でも、それも嫌いではありません。

山から帰ってきた体で、日常の中に混ざっていく。
疲れているけれど、少し満たされている。

電車の揺れに合わせて眠気が来る。
スマホで写真を少し見る。
でも、文章を書くほどの元気はない。

ただ、ぼんやりする。

その時間も、山行の一部なのだと思います。

山は、少しずつ終わっていく

山行には、いくつもの終わりがあります。

山頂に着いたとき。
登山口に下りたとき。
温泉に入ったとき。
ご飯を食べたとき。
駅に着いたとき。
電車に乗ったとき。
家に帰ったとき。
ザックを片づけたとき。

どこで終わったと感じるかは、その日の山によって違います。

短い山なら、登山口で終わることもある。
温泉に入って、ようやく終わる山もある。
家に帰って、洗濯機を回したところで終わる山もある。

でも長く歩いた日は、駅のベンチで終わることが多い気がします。

切符を買って、帰れる電車を待つ。
ザックを下ろして、飲み物を飲む。
足が重くなって、肩が軽くなる。

その全部が同時に来る。

山の余韻は、派手な瞬間だけにあるわけではありません。

むしろ、こういう静かな時間に残ることがあります。

誰にも見せるほどではない。
写真にするほどでもない。
でも、自分の中では妙に覚えている。

そんな時間があるから、また山に行きたくなるのだと思います。

帰れる電車を待ちながら、今日の山が終わる

下山後、駅のベンチに座る。

ザックを下ろす。
靴紐を緩める。
水かジュースを飲む。
スマホで電車の時間を見る。

切符はある。
あとは電車が来れば帰れる。

たったそれだけの時間なのに、そこには山の余韻が残っています。

しんどかった。
暑かった。
長かった。
でも、来てよかった。

そう思える山は、たぶん良い山だったのだと思います。

山の記憶は、山の中だけに残るわけではありません。

茅野駅で食べた駅そば。
甲府駅で飲んだ、しじみの味噌汁の缶。
駅のベンチに置いたザック。
帰れる電車を待ちながら飲む、自動販売機のジュース。

そういうものまで含めて、その日の山になる。

もう山は下りた。
もう帰れる。
あとは電車に乗ればいい。

その安心感の中で、今日の山が静かに終わっていく。

そして少し休んだら、また次の山のことを考え始める。

結局、そうやってまた登るのだと思います。

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